1978年、カナダのブリティッシュ・コロンビア州に生まれたネリー・ファータド。ポルトガル移民の家系で、父親はファド(ポルトガルの民族音楽)のミュージシャン、母親は歌手という抜群の環境の中で育った彼女は、幼い頃から楽器の演奏や曲作りなど多彩な才能を発揮していた。高校を卒業後、トロントに移り住み、タレント・ショウで歌っていたところをフィロソフィーキングスのジェラルド・イートンとブライアン・ウエストに見初められ、デモ制作を開始。ドリームワークスと契約するに至る。
そして2000年、デビューアルバム「WHOA,NELLY!」をリリース。翌年にカナダ版グラミーと呼ばれるジュノー賞で4部門を獲得したのをきっかけにアメリカをはじめ世界各地でブレイクを果たした。そんな彼女、最も新作が待ち遠しいアーティストとしていよいよセカンドアルバム「フォークロア」をリリース。彼女によれば、今回はルーツでもあるフォークの流れを汲みながら同時にモダンな要素を持った作品を作りたかったとのこと。この曲もマルコムマクラーレンの“バッファローギャルズ”を使用したブレイクビーツにバンジョーやマンドリンがからみ、カラフルなメロディをクールなボーカルで包み込んだ彼女らしい万華鏡のようなナンバー。
堤晋一(Vo)、加藤栄治(G,Vo)、山本聖治(B)、田代真一(Dr)の4人が1997年に広島の大学のフォークソング部で出会いバンドを結成。既にギターを始めていた加藤を除く3人は音楽の経験が全くなく、バンドを組んだものの、楽器の練習より野球をして過ごす時間が長かったらしい。それでもコピー演奏はあまり行わず、結成して間もないうちにオリジナル曲の制作を始めた。1999年頃からは地元を中心にライヴ活動を始め、翌年にはラジオ番組のオーディションでSNAIL RAMPの竹村氏と運命的な出会いを果たし、彼の全面的サポートを受ける。彼らのライヴは話題を呼び、リリースを重ねるごとに、更に大きなライヴへと拡大。去年3月、3枚目のマキシシングル「青春の炎」発売ツアーでは全国のクアトロが超満員となった。8月に満を持してメジャーデビューを果たした彼らが、広島県庄原市の国営備北丘陵公園で行われたSET STOCK‘03に出演したのは記憶に新しいところ。このナンバーはおなじみのインディーズ時代に発表した名曲の2004年バージョン。ストレートなロックに個性的なパフォーマンス、そして何より日本人らしい繊細な心を唄った歌詞を持つ彼らの魅力が爆発して、真っ直ぐに胸の奥に届いてくる。これがBivattcheeだ!
ロサンゼルス出身で現在22歳のジョシュ ・グローバン。子供の頃からの憧れだったミュージカルの道を目指していた彼は、デビッド ・フォスターに渡したデモテープがきっかけで、99年グラミー賞のリハーサルにてセリーヌ ・ディオンとデュエットするという、夢のようなチャンスをつかむ。そして2001年11月、デビッド ・フォスターのプロデュースで、デビュー・アルバム「ジョシュ ・グローバン」をリリース。ダイナミズムと繊細さを兼ね備えたエモーショナルな響きの歌声で500万枚以上のセールスを記録し、一躍全米の注目を浴びた。待望の2ndアルバム「CLOSER 」からのリードトラックであるこの曲、“You Raise Me Up” という言葉からは、“支えあう心が人を強くする”という気持ちが湧きあがる。アメリカを包み込む癒しのスーパーボイスは、あなたに、立ち止まり、深く感じ、そして考える時間を与えてくれるはず。サラ・ブライトマンたちが開拓するクラシックとポップスを融合させたクラシカル ・クロスオーバーに、新しいヒーローが誕生した。
「映画『天使にラブ・ソングを2』で歌ってる彼女に共感しちゃって、めちゃめちゃ泣きました。自分も歌をやりたいと思いましたね。絶対無理だと思いながらも、熱い想いは密かにありました。」北海道の北見で生まれ育ったMizは、ローリン・ヒルに出会ったことでヴォーカリストを目指す。
「とにかく声が大きい。喋っている声も大きいし、物怖じしないから誰とでも仲良くなれる。恐いものなしのエネルギーというか、人間としてのエネルギーがあるんです。」Mizの才能を感じ取ったプロデューサーは、彼女をスウェーデンの作家が書いた楽曲と出会わせ、このシングルを誕生させた。
ある時、戦地でインタビューを受ける女の子が「普通の生活が出来る日が来ればいいのに」と言っていたのを目撃した彼女は、「みんな『New Day』を求めているんだ。わたしもそう思うから、その気持ちを言葉は違うんだけど歌詞に入れています。」と言う。R&Bからパンクロック、そしてヒーリング ・ミュージックまで飲み込んだ彼女は、そんな想いを歌声にこめた。そして、自分を信じて夢を実現した彼女の『New Day』は始まったばかり。「やっぱりたくさんの人に聴いてもらいたいから、世界に私の曲が広がればいいなと思ってます!!」
まだ16歳のケイティ・ローズ。父親は元ポコのメンバーで、CS&Nやアート・ガーファンクルのツアー・キーボーディストだったキム・バラード。そして母親はバック・シンガーとして70年代の多くのスターと仕事をしていたという典型的な音楽一家に生まれた。「私みたいにLAで育つと、アッという間に大人になるのよ。」と彼女は言う。「セレブリティやメディアがそこら中にいたわ。だから、私や友達は5歳でちっちゃな大人って感じだった。」ソングライティングを始めたのは13歳の頃。家族、学校 ・ ・ ・自分を取り巻く環境の中、多感なこの頃のやり場のない感情のはけ口として音楽を書くことを選んだ彼女は、レッド・ツェッペリンやジャニス・ジョプリンなどに音楽的な影響を受けたという。「私のテーマは疎外、困難な時期、模索、理想主義、そして傷心。だけどそこには希望もたくさんあるの。そのおかげで私は進み続けていられるんだもの。人生はジェットコースター、私は立ち止まったりしない。」と彼女は言う。どんなティーンの心の中にもある大人びた感情を歌にたくして、真剣な誠実さで表現している。父親のプロデュースのもと、自宅スタジオで作られたこのデビューアルバムは、ティーンの代弁者としての彼女が息づく。マスト!!
2000年、木村真悟(vo)、細井裕司(ba)、マーヤボール(ds)にギターとプログラミングを担当する飯田哲也が加入したことで、「ラウンドスケープ」は誕生した。「バカ騒ぎをしようというのが原点」だった彼らは、「とにかく楽しむ」事を目的にライヴ活動を展開。バンドとしての完成度の高さや、ロックとデジタルサウンドが強力に融合した楽曲が話題となり、FUJI ROCK FESTIVAL'03“ROOKIE A GO-GO”に出場。更にLINKIN PARK の大阪公演オープニングアクトに選ばれるなど、メジャーデビュー前のバンドとしては異例の大抜擢をうける。そして2003年11月「Where is my dream?」で満を持してメジャーデビューを飾り、ありそうでなかった新感覚なサウンドスタイルが、ジャンルを超えた幅広いリスナーからの反響をよんだ。そんな彼らの2ndシングルが、メロディーセンスがキラリと光る、ポップなこの「Everything」!そして3月24日には待望のメジャーファーストアルバム「MODERN CREATION」をリリース。原始の衝動と未来のテクノロジーを駆使した“現代の創造物”は、この春、絶対要チェックだ!!
今ロンドンで話題のザ・ヴェイルズ。Vo&Gのフィン・アンドリュース、Drのベン・ウラコット、Bのアダム・キンセラ、オリヴァー・ドレイクの4ピースバンドだ。XTCやシュリークバックのメンバーとして活躍したバリー・アンドリュースを父にもつフィンは、初めは全く音楽に関心を持たず画家を夢見ていたが、移住したニュージーランドで偶然フォーク・ミュージックに興味を持ち、ついにはアコースティックギターを弾きながら人前で歌うまでになる。2001年、真剣に音楽活動に取り組むためイギリスに戻った彼は、現在のメンバーと出会いノースロンドンの小さなクラブで活動を開始、ほどなくして名門インディーズレーベル、ラフ・トレードと契約を交わした。イギリスで2月にリリースされたデビューアルバム「THE RUNAWAY FOUND」は、様々なプロデューサーがかかわっているが、中でもこの“Guiding Light”は、なんと元スウェードのバーナード・バトラーが担当!類い希な美しさを持つメロディーを、起伏に富んだサウンドで表現した彼らのアルバムは、この春絶対要チェックだ!
「君の唄を待っているたくさんの人がいる。僕もその一人だ。」 佐野 元春
本格派シンガーソングライター、古明地洋哉(こめいじ ひろや)。ギターとの出会いが曲を書くことへとつながり、シンガーを目指すことへと発展。彼は何度も新人発掘オーディションを受け続けるなか、「これが最後です」と半分あきらめながら最後のデモテープを送る。それが見事関係者の耳に留まり、ライヴ活動を開始。2000年5月にCDデビューを果した。昨年の12月3日にリリースされた3rdアルバム「孤独の音楽」のオープニングを飾るこの“想いが言葉に変わるとき”は、各地で話題となり、今年に入って北海道、東北、九州にて地域限定シングルとしてリリース。そしてこの度全国発売されることとなった。彼の綴る言葉の一つ一つ、奏でるメロディーの一つ一つが心の奥深くに染み渡たり、“切なさ”が“やさしさ”や“強さ”へと変わっていく。彼の抜群のソング・ライティング・センスはもちろんのこと、一度聴いたら忘れられないメロディーにとりこになること間違いなし!!
〜Fatboy Slimの秘蔵っ子、遂に日本デビュー〜
1975年、フランス生まれのSpace Cowboyことニコラス・ドレスティは、ループ・ダ・ループやDJシュープリームという名前で既に大活躍しているプロデューサー。彼が手がけた作品は100作品にも登り、数々のクラブヒットをUKチャートに送り込んでいる。そんな彼の才能に惚れ込んだFatboy Slimは、自身のレーベルSouthern Friedとの契約をオファー。ニコラスは快く契約を交わし、こうしてSpace Cowboyが誕生した。この曲は、ちょうど20年前の84年にプリンスが発表した名作アルバム「パープル・レイン」からのシングルヒットのカヴァー。ブリリアントでアッパーなこのパーティー・チューンはUKを始め全世界のクラブで大ヒット!!とにかく賑やかなトラックが目白押しの「Across The Sky」。中でも一押しの「I Would Die 4 U」を聴きながら踊っちゃおう!
〜東京-石垣-韓国を結ぶトライアングル・カルチャーから無尽蔵の可能性誕生!!〜
在日korean4世のヨンエ瑛愛(Vo)と石垣島出身のヒラエ平得ミホ美帆(Vo)、東京出身、東京大学大学院在学中のハヤカワ早川ダイチ大地(サウンドプロデューサー)の3人からなるユニット“東京エスムジカ”。日英韓中の四ヶ国語を話せる瑛愛と琉球島唄の匂いを感じさせる美帆のヴォーカル、そして、アジアをはじめ世界中のエスニック・テイストを取り入れながら、J-POPを融合させて作られる早川のサウンドは、メロディラインの美しさと共に、“東京エスムジカ”の大きな魅力となっている。この「月凪」のテーマは“チベット”。ラストのコーラスはチベット語で作詞されていて、不思議な夢幻から“東京エスムジカ”の世界が広がっていく。二人の歌のうまさと歌声の美しさが醸し出す絶妙なツイン・ヴォーカルの世界にあなたも浸ってみて!
イギリスグラスゴーのアートスクールで出会った、アレックス(Vo.&G)、ニック(G)、ポ-ル(Dr.)、ボブ(B)の4人組、フランツ・フェルディナンド。彼らは、発音した時のリズム感が好きだったこと、誰でも知っていること、事件後、全世界が変わってしまったという理由から、サラエボ事件で暗殺されたオーストリア皇太子の名前“フランツ・フェルディナンド”をバンド名に据えた。さらに彼らがルールとして決めているのは、“3色しか使わない”ということ。今の“フランツ・カラー”は「黒」「オレンジ」「オフ・ホワイト」の3色というこだわりを持っている。そんな彼らは2004年2月、デビューアルバムを初週になんと75000枚も売り上げ、全英チャート初登場3位という快挙を達成。本国ではもはや「新人」という枠を超えて「今年を代表する顔」となった。“クールなビートをタイトに決めて、女の子達と踊るのさ”と言う彼らの音楽に全世界が注目!!
歌が光を放ち、どこまでも伸びていく・・・TiAは現在16歳。神奈川県横浜市出身、5人兄弟の末娘として生まれる。小学校の頃からシンガーになりたかった彼女は、曲を作らないとシンガーになれないと思い、中学2年の時に初めて自分で作詞/作曲を始めた。その楽曲が現在の事務所社長の手に渡り、シンガー“TiA”が誕生。感情移入が強いという彼女は、メロディーに必要な歌心と言葉を本能的に見つけて、まるで歌とひとつになっていくようだ。読書家でもある彼女は、音楽や小説を通して現実と空想の世界を自由に行き来しているようにも感じる。「1つのジャンルに自分をしたくない。その日の気分で変わるじゃないですか。歌うというより歌になりたいんです。」と彼女は言う。“歌うというより、歌になりたい”という言葉通り、未知の可能性を秘めたTiAを、この6月は絶対要チェック!!
1981年12月27日ロンドン生まれの22歳。幼い頃から母親のソウルやレゲエのアルバムコレクションを聴くのが好きだったJAVINEは、弱冠10歳で芸術奨学金を受け、早くからその才能を磨いていった。学生時代はモデルとしても大活躍していた彼女は、ミュージカルも経験。着実にショービズのキャリアを築いていく。2002年、彼女は自分の運命を変えるTVのタレントオーディション番組に応募。5人組の女性アイドルグループを結成するこの企画で、最後の6人まで残りながら惜しくも最終選考で敗れた彼女。しかしその類い稀な歌声は全英中の注目を集め、各社争奪戦の末、ブルーやアトミック・キトゥンが所属するイノセント ・レーベルと契約。イギリスでは、瞬く間にチャートを駆け上がり大ヒットを記録。その後遂にデビューアルバム「SURRENDER」をリリースした。日本でのリードトラックとなる『SURRENDER(YOUR LOVE)』は、あのダイアナ・ロスの「SURRENDER」をサンプリングした超キャッチャーな楽曲!!モデル並みのプロポーションの上、さらに歌も上手いときたら、JAVINEは日本で話題になること間違いなし!この夏マストアイテムだ!!
宜野湾市出身、20歳のYuと、那覇市出身、22歳のYasuは音楽スクールで知り合い、二人でひとつの歌を歌うことに新たな可能性を見出して、2003年デュオを結成。力強さと大きなやさしさで世界中を走破したいという思いを込め、かつて日本中を駆け巡った蒸気機関車からユニット名をもらい、D‐51は誕生した。沖縄の北谷町美浜のストリートでパフォーマンスを繰り返した彼らは、インディーズながら沖縄での総合チャート1位を獲得するという快進撃を記録。そしていよいよこの夏メジャーデビューする。沖縄の太陽を想わせるポップでキラキラしたサウンドや、二人が沖縄の夏に歌いたいナンバーとの想いを込めて作ったこの曲「TOP OF THE SUMMER」は、2004年のサマー・チューン決定版!!“自然体”かつ“まっすぐ”な魅力を放つボーカル・デュオ「D-51」が、沖縄から日本全国の「TOP OF THE SUMMER」に向け、いっそう熱く、力強く走り出した。
ロンドン出身のPETER(Vo&G)、
CARL(G&Vo)、JOHN(B)、
GARY(Dr)からなる「THE LIBERTINES」。彼らの歴史は、1996年完璧な理想を目指す運命共同体として、PETERとCARLが手を組んだことから始まる。「世界を救い、唯一無二の女をゲットしてゴールを決める」ための曲を幾千も書いていった彼らは、2002年にJOHN、GARYと運命的に出会い、「自由思想家」「放蕩者」という意味を持つ「THE LIBERTINES」を結成。元スウェードのバーナード・バドラープロデュースのシングル「What A Waster/I Get Along」でデビューし、その過激な内容にもかかわらずUKチャートでトップ40入りという快挙を成し遂げた。更に元クラッシュのミック・ジョーンズと制作したデビューアルバム「Up The Bracket」が、イギリスはもちろん日本でも大好評を博したのはご存知の通り。そんな彼らがいよいよ9/1に2ndアルバム「THE LIBERTINES」をリリース。そのリードトラックとなるこの「Can ユt Stand Me Now」は、絶妙な期待感と疾走感を煽る素晴らしい音の世界を展開している。全英でセックス・ピストルズ以来の大センセーションを巻き起こしているTHE LIBERTINES、この夏いち早くチェックして!!
兵庫県出身20歳のhiroko(阿久津博子)と、岡山県出身23歳のmiyake(三宅光幸)からなるユニットmihimaru GT。ライブ会場で偶然スカウトされたhirokoと、BoA、SMAPなどのアーティストにソングライティングやアレンジをしていたmiyake。彼らは2003年1月、天然ボケのキャラと天性の声質で有名だったhirokoに、miyakeが自分のデモ曲を歌ってもらったことをきっかけに知り合った。かねてからラップやヒップホップが大好きだった2人はすぐに意気投合。渋谷を中心にストリート、クラブ等でライブを続け、待望のメジャーデビューを果たす。そして今年の4月に2ndマキシシングル「帰ろう歌」をリリースし、“下校ソング普及キャンペーン"と題して全国の中学・高校にオリジナルCDを送る企画を展開。なんと1000校からの応募が殺到し、注目を浴びたのは記憶に新しい。そして彼らは、結成当初から暖め続けてきた自信作「願〜negai〜」を遂にリリース。この曲は“こんな世界で僕等 争うことをやめたくて"という、彼らのPeacefulでHeartfulな願いがたくさん盛り込まれている。Mihimaru GTが伝えたい、大きく温かいメッセージをダイレクトに感じてみて!
アメリカ、ヴァージニア州アーリントンにて、日系の父とイタリア系の母の間に生まれたレイチェル・ヤマガタ。12歳の頃、誰もいない講堂でピアノを弾く事に喜びを見出した彼女。大学時代には憧れていたシカゴで人気を誇るファンクバンド、バンパスのメンバーに参加したもののメンバーとの方向性が変わりバンドを脱退。その後、自分の感情を発散・浄化したい一心で、オープン・マイクの場で自分を試し続けた。それからというもの、デイヴィッド・グレイのオープニングアクトを大舞台でつとめたり、マルコム・バーンとシングルを制作・発表して大反響を得るなど、ドラマのような急展開を見せる。既にUSで話題急上昇中の「Happenstance」が、遂に日本でリリース決定!今回デビューアルバムをプロデュースしたのは、ジョン・メイヤーやジェイソン・ムラーなどを手掛けたジョン・アレイジア。アルバムの中の「Worn Me Down」は、飾らないサウンドと、耳に残る独特なハスキー・ヴォイスが心地好く出来上がっていて、この秋イチオシな一曲だ。
中学卒業後にアメリカに渡り、本格的なヴォーカルを学んだYUKIと、ニュージーランドの高校卒業後に渡米し、ヒップホップを身に付けたラップのCICO。そんな二人が出会い意気投合し、女性シンガーと女性ラッパーという新しいスタイルでユニットBENNIE Kを結成。2001年、日常における焦燥感あるいは希望を綴った「Melody」でデビューを果たす。地道なライブ活動を重ねた彼女らはメキメキと力をつけ、そのパフォーマンスの評判がアーティストを中心に広がっていった。そして2004年5月、その仲間達とジョイントしたミニアルバム「ザ ・ベニー ・ケー・ショウ」をリリース。その中に収録されているSOUL’d OUTとのコラボレートナンバー「オアシス」は、全国のFMで大プッシュされ、一躍注目の的に!!そんな彼女達がいよいよニューシングル「サンライズ」をリリース。『失敗したって“ま、いっか!”って笑い飛ばして、テンションあげて乗り切っちゃお〜!』というBK流超ポジティブ・ハッピー・チューンになっている。BENNIE K、この秋大ブレイクの予感です!
1981年ロンドン生まれ22歳、ブロンド・碧眼の女性アーティスト、ナターシャ ・ベディングフィールド。小さい頃からブラック系の友達に囲まれ、自然とソウル・ミュージックに慣れ親しんだ彼女は、兄のダニエル、妹のニコラとグループを結成。担当はギターとピアノと作曲。12歳にして初めて作曲をし、日々の様々な思いを日記でもつけるかのように曲にしていた。そんな才能溢れる彼女のデビューシングル「SINGLE」は、全英エアプレイ・チャートで1位、セールス・チャートの3位をいきなり記録し大センセーションを巻き起こし、更にデビューアルバムの「Unwritten」では、英アルバムチャートで初登場1位という快挙も成し遂げる。そんなイギリスで大旋風を巻き起こしている新人シンガー、ナターシャ ・ベディングフィールドが、遂にこの秋日本上陸!!デビューアルバム「Unwritten」からの日本でのリードトラックとなる『these words』は、彼女のまっすぐな愛のカタチが感じられる超イチオシな曲!!
インディーズで15万枚を超えるセールスを記録している人気バンドSKA SKA CLUBのグローバー義和(Vo.)と橋谷康一(Gt.)が、よりシンプルな編成でのグループを求めて、2002年にJackson vibeとして活動をスタート。そして2003年、佐藤元彦(Ba.)と須川基(Dr.)を正式にメンバーに迎え入れ、2003年10月にデビューマキシシングル「虹色の影」でメジャーデビューを果たした。そして1年、「いまを生きる」ということをテーマに書いた3rdシングル『セピア』を満を持してリリースする。カリスマ性を持ち合わせたグローバー義和の歌唱力と最高のグルーヴ感が、人の心を確実に引き付け続けているJackson vibe。彼らが、日本の音楽シーンのスタンダードになる日が来るのはそう遠くはないはず。評価の高い彼らの真骨頂である“LIVE”においても現在動員は増え続け、その確かなバンドサウンドとオリジナリティを持ったJackson vibeから、この秋目が離せない!!
年齢、性別、ジャンルの壁を軽々と飛び越え、独自のエキサイティングなサウンドをクリエイトする驚異のティーン・エイジャー、スカイ・スウィートナムがいよいよ日本デビュー!!今年春には、ブリトニー・スピアーズのツアーのオープニングを勤め、ダイナミックなステージングで観客を圧倒した驚異の16歳。デビューアルバム『NOISE FROM THE BASEMENT』からのリードトラック「BILLY S.」は、学校になんて行きたくない!というやんちゃなナンバー。「ただ、学校にウンザリして反抗的な気分になってた日にその曲ができたってわけ」とスカイは言う。彼女は、自身からストレートに発信されたピュアなティーン・ロック・スピリットを曲に詰め込んでいる。アルバムの全曲ライティングはもちろん、プロデュースにも参加したり、その他にも映像をディレクションしたり、洋服もリメイクするなど、そのアーティスティックな創造力はありとあらゆる人間をスカイ・ワールドに巻き込んでいく。ハイエナジーで、エキサイティングな彼女に、世界中が大注目!!
広島県出身の女性シンガーソングライター、東真紀。父親が歌手という環境で生まれ育ち、小さい頃から歌手になることを夢見て音楽大学声楽科に入学するもプロへの道は険しく、卒業後OLに。しかし音楽への情熱は逆に高まり、反対する父親を説得して退社。2年間の約束でインディーズ活動を開始した。そして2003年にインディーズ・ファーストシングル「雷鳴」をリリースし、地元CDショップの年間売り上げチャートで第1位を獲得。輝かしい実績をあげた彼女はメジャーデビューという夢を叶えるため、オーデション番組に応募する。沖縄で1ヶ月の音楽合宿生活を送り、過去最高得点で課題をクリアし、見事メジャーデビューへの切符を手にすることとなった。そしていよいよ11/3にシングル「ジョンの純な恋物語」でメジャーデビューを果たす。クラシック、歌謡曲、J-POP、洋楽ポップスなど幅広い音楽性を身につけ、自由に創りだされるメロディラインと意外な切り口で真摯に心を打つ歌詞世界。2004年11月、東真紀の曲があなたのこころをそっと包み込む・・・
1980年4月12日、アイルランドダブリンで生まれたブライアン・マクファーデン。ウエストライフのメンバーだった彼は、99年のデビュー以来、シングル7曲連続全英チャート初登場No.1という前代未聞の記録を打ち立て、以降イギリス最強のボーイズバンドとして大成功を収めた。しかし、ブライアンは家族と過ごす時間を増やす為、今年3月に愛するグループからの脱退を発表。その後、ソロとして活動を再開し、ロビー・ウィリアムスのソロ・ワークやオアシスのサウンドを支えたスタッフと共に1stアルバム『Irish Son』を制作することとなった。この「Irish Son」は、地元アイルランドとカトリック教会のコミュニティーの中で育った子供時代をテーマに、自分の内面とアイデンティティーを見つめた1曲。哀感に満ちたメロディをロック・スピリットの加わった新たなサウンドにのせて、誠実なブライアンのヴォーカルが力強く心に響く一押しナンバーだ!!
福岡県出身の19歳、信近エリ。物心ついた頃から、なんの疑いもなく自分はシンガーになるものだと思っていたという彼女は、17歳の時レコード会社にデモテープを送るが、肝心な自分の連絡先を書き忘れていた。しかし、彼女の声に心を動かされた担当者が、消印にあった福岡というエリアと非常に珍しい“信近”という苗字から、遂に彼女を探し当てる。その後、UAやbirdを生み出した大沢伸一(MONDO GROSSO)が彼女の天性の歌声に惚れ込み、彼の全面バックアップでのデビューが決定した。1stシングル「Lights」は、生ピアノ、ストリングスと打ち込みサウンドを用いて、“静と動”を1曲の中に共存させた感動的なナンバー。彼女が大好きな歌を歌うために、迷いを断ち切って未知の世界に自分を投じさせる為の決意の歌であり、たった一点の光に向けて歌われる祈りの歌でもある。信近エリは「Lights」で大空に羽ばたいていく。